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BOSAIみらいコラム | 4
火災 首都圏災害

首都圏大規模地震①|火災旋風のメカニズムと被害対策

篠原雅彦さん
総務省消防庁消防研究センター技術研究部 大規模火災研究室 主幹研究官 篠原雅彦さん

総務省消防庁消防研究センター技術研究部
大規模火災研究室 主幹研究官
[専門分野]火災科学/熱工学

火災旋風のメカニズムと被害対策

来年2023(令和5)年は、関東大震災から100年になります。1923(大正12)年9月1日、午前1158分、何の前ぶれもなく突然大きな揺れが関東地方を襲いました。相模湾北部を震源地として発生したこの大規模地震は、マグニチュード7・9で、当時の東京府と神奈川、千葉、埼玉などの6県で、死者・行方不明者約10万5千人という大被害をもたらしました。なかでも、横浜市は震度6と被害がもっとも著しく、全戸数の3分の1に当たる3万8千戸以上が倒壊、激しい揺れに続いて起きた大火災で全市が焼土と化しました。このような大火災で発生して、さらに甚大な被害を引き起こす現象に「火災旋風」と呼ばれる現象があり、火災事故のなかでも驚異の存在となっています。

そこで、長くこの火災旋風を研究されてきた総務省消防庁消防研究センターの篠原雅彦氏にそのメカニズムと対策についてお伺いしました。

 

火災旋風にはふたつのタイプ

――火災旋風とはどんな現象を起こし、そのメカニズムについてお聞かせ下さい。

篠原氏(以下、篠原) :火災旋風とは、火災時に発生する竜巻状の渦のことです。火災旋風のメカニズムはまだ分からない点が多いのですが、大気中の渦の源、たとえば風の中にある渦を巻きやすくなっている部分が、火災によって一カ所に集まることで回転が強くなって発生していると考えられています。火災旋風には大きく分けてふたつのタイプがあります。ひとつは炎を含んだ竜巻状の渦で、これはまさに火柱と言うべきものです。火災域からの炎が周囲の炎より遥かに高く立ち上がり炎上します。

もうひとつは炎を含まない、空気の竜巻状の渦です。このタイプの火災旋風は、土ぼこりや煙などを巻き込んでいて黒っぽい渦柱に見えることもあります。この炎を含まない火災旋風が、火災の炎を取り込んで、炎を含んだ火災旋風になることもあれば、炎を含む火災旋風が火災の外に出て、炎を含まない火災旋風になることもあります。火災旋風の多くは大規模な火災の多い林野火災での報告が多いですが、市街地でも発生し、多くの被害を出しています。

 

墨田区の陸軍被服廠跡地での被害が甚大

―――関東大震災における火災旋風の被害はどのような状況でしたか。

篠原 :関東大震災では、火災旋風が東京では約110個、横浜では30個発生したという報告があります。東京市では、火災で約5万2千人が亡くなられていますが、そのうち7割強に当たる約3万8千人が、現在の墨田区にあった陸軍被服廠の跡地だった場所で亡くなっています。ひとつの場所でこれほど甚大な被害が出たのは、ここを襲った火災旋風が原因だったと言われています。

この陸軍被服廠跡地は、2万坪の広さがありましたが、大きな揺れの後4万人もの人が避難してきて、ひとりが畳1枚分のスペースという勘定になり、決して余裕はありません。しかも、大八車に多くの家財道具などを載せ、まさにすし詰め状態でした。周辺の火災域から火の粉が飛び、多くの避難者と家財道具などに降り注ぎ着火した可能性があり、そこに火災旋風の竜巻のような風が吹き、急速な延焼が起こり、また、人や物も吹き飛ばされ尊い人の命が多数失われたのです。

*編集部注:陸軍被服廠=軍服や軍靴などの軍用品を作る工場で、1922(大正11) 年移転に伴い東京市が跡地を買収して、公園の造成を進めていました。その最中に関東大震災が起きてしまいました。同地は現在「都立横網町公園」となっています。

――横浜市における火災旋風の被害はどんな内容ですか。

篠原 :前述しましたように横浜の場合、火災旋風は合わせて30個で、発生数は東京に比べて少ない数字を示しています。しかし、高島町で発生した猛烈な火災旋風は2時間以上継続して2.2㎞もの距離を移動し、途中、発生から1時間40分経った時点で9名が約10間(18m)持って行かれたという記録が残っています。

*編集部注:横浜公園の被災状況=警察官が家財道具の持ち込みを制止した機転のお陰とともに、公園内には鬱蒼茂った樹木と水道管の破裂で水びたしになったことも多くの人の命を救った要因になっています。
*編集部注:横浜市の死者・行方不明者=当時の市の人口の5.4%に当たり、東京市の2.8%を上回り、横浜市が最も被害が大きかったことを物語っています。

 

空襲時にも火災旋風は起こる

――関東大震災以外にも火災旋風の例はありますか。

篠原 :大規模地震とは関係ありませんが1934(昭和9)年3月の「函館大火」がそうです。また、太平洋戦争中米軍機から無数の焼夷弾を投下された空襲時の火災旋風もあります。1945(昭和20)年7月の「和歌山大空襲」では、4千坪の空地になっていた旧県庁跡に避難者が殺到していましたが、そこを火災旋風が襲い748人が亡くなられました。さらに、2011(平成23)年3月の東日本大震災では宮城県気仙沼市の漁港近くで海上火災が発生しましたが、その4日後には同じ市内の「内の脇町」で火災旋風と見られる現象が目撃されています。

*編集部注:「函館大火」=当日、北海道付近を発達中の低気圧が通過したため、函館市内は強風に見舞われていました。一軒の木造家屋が半壊し、室内に吹き込んだ風で囲炉裏の火が吹き散らかされ、瞬く間に燃え広がり、木造家屋が密集する地域に延焼し、函館の市街地の3分の1を焼失し、2千名以上の犠牲者を出しています。
*編集部注:焼夷弾=ガソリンをゼリー状にして容器に詰め、黄リンの発火を利用した瞬発信管をつけたもので、航空機から投下されると2000度近い高温で炎上し、1発で2500平方メートルを焼き尽くすというきわめて殺戮性の高い兵器です。

 

日頃の機転が命を左右

――火災旋風における先生の現在の研究課題とその内容をお聞かせ下さい。

篠原 :現在取り組んでいることは、火災旋風の発生を予測する方法の開発です。関東大震災時の陸軍被服廠跡の惨事を繰り返さないことは勿論大事なことです。しかし、残念ながら現在のところ、火災旋風が発生するための条件が分かっていないので予測することは出来ません。ただこれまでの研究や実験で分かっていることは、小さな火災旋風は大きな被害を引き起こしませんし、大きな被害を引き起こす火災旋風は、大規模な火災域とその近辺で発生します。

そこで、火災の規模がどれくらいになれば、死傷者を出すほどの強風を伴う火災旋風が火災のどのような位置に発生するか、ということを予測できる方法の開発を目指しています。この予測ができるようになれば、同時多発火災発生時に消防力が不足して全火災を消せない場合でも、死傷者を出すほどの強風を伴う火災旋風が今後どの火災で発生する可能性があるかを予測し、その火災が小さいうちに優先的に消すことで火災旋風の発生を防げるようになると考えています。

――火災旋風が起きた時に私たちが出来ることは何でしょうか。

篠原 :まず、出火を防ぎ初期消火に当たることです。もし、火災旋風に見舞われることがあった場合には、関東大震災時の陸軍被服廠跡地で生き延びた人たちの証言は教訓として生かされると思います。例えば、トタン板や座布団などで飛んでくるものや熱から頭を保護したり、水たまりの水で身体を濡らして熱に耐えたり、また、ぬかるんだ泥の中に入って泥を身体の熱い部分に塗って熱から保護したというケースもありました。

ただ、こういった手段はあらかじめ考えていたわけではなく、その場で機転を利かして取った行動だったのではないかと思います。これは日常生活の中で、ちょっと困った時にその辺の物でなんとかするという行動で身についていくものなのではないかと思っています。

――本日はお忙しいなか有り難うございました。

 

聞き手:NPO法人日本防災環境 理事長 清水健男 ・ 理事 山田一廣
取材:2022年8月9日
場所:消防研究センター(東京都調布市)