1974年生 情報デザインとデジタルアーカイブを研究。
博士(工学)。「ナガサキ・アーカイブ」「ヒロシマ・アーカイブ」「東日本大震災アーカイブ」「沖縄戦デジタルアーカイブ〜戦世からぬ伝言〜」「忘れない:震災犠牲者の行動記録」「ウクライナ衛星画像マップ」などを制作。講談社現代新書「データを紡いで社会につなぐ」,光文社新書「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(共著)などを執筆。
大震災の教訓を首都直下地震対策として活かすには今を生きる私たち一人ひとりの防災意識の向上が不可欠になる。災害の記録と記憶を可視化し、デジタルアーカイブとして現代・未来へと伝える取り組みに災害から身を守る新たな可能性が見えてくる。
―私たちNPO法人日本防災環境は、災害から「命を守る」をテーマに活動してきました。その啓発的活動として、防災セミナーや講演、訓練なども実施してきましたが、やはりどうしても一般的には、防災への関心が低いように感じます。今年で関東大震災から100年となりますが、災害を過去のものとせず、未来への教訓として生かし、命を守る行動へとつなげていくにはどうしたらよいのか。デジタル技術によって情報を生かし、新たな可能性と対話を生み出しておられる先生にお話をうかがい、これからの防災について考えていきたいと思います。―
過去の災害を自分事として捉えるために
渡邉教授 国立科学博物館で開催されている関東大震災100年企画展(※1)では、震災直後に撮影された写真をカラー化して展示しています。カラー化写真は、AI技術、そして人の手で彩色したものです。モノクロの写真だとどこか他人事だった100年前の災害も、カラー化により身近な出来事に感じられるという効果があると思います。
例えばこの写真(※2)は、日比谷を写したとされるもので、避難してきた方々が、まだ燃えている街を眺めている写真です。炎のあがる方を皆で見ていますが、本所被覆廠跡で火災旋風の原因にもなった大八車がここにあるのは、何か心配になったりしますよね。もしここに火の粉が飛んできたらどうなるのか…と。
モノクロ写真はカラー化することによってリアリティが増します。空の色や日差し、半袖の人もいる様子から、多分まだ残暑著しい頃だったのだろうな、といった思いも湧いてきます。そうしたイマジネーションも災害に備えるためには大切だと思うのです。
※2:日比谷を写したとされる。避難してきた方々が、まだ燃えている街を眺めている写真。 左側:モノクロ写真 右側:AI技術、人による彩色が施されたカラー写真

―自分とは無関係な、単なる資料写真に見えていたモノクロ写真が、カラーになると親近感がわき、印象が変わります。今の我々と変わらず家族に囲まれ、学校や仕事に行き、笑い、当たり前の日常を営んでいた人々が被災したのだ、災害は本当にすぐ隣にあるものなのだと感じます。
渡邉教授 関東大震災を経験した100年前の人々にとっても、彼らが生きる世界は、我々が今見ているこの21世紀と何ら変わりのない色とりどりの世界だった。そう実感できるわけです。それは「災害を自分事として考える」ことにつながります。専門家やモノクロ写真を見慣れている人ならモノクロでも深いレベルで観察できますが、多くの人にとってモノクロ写真は、さっき仰ったように「自分とは関係のない昔の写真」であり、詳細は眼に入りにくい。私たちとの距離を遠ざけるものになっているのです。
―写真のカラー化にはAI技術、さらに人の手が加わっているということですが。
渡邉教授 AIは学習した結果をもとにそれっぽい適当な色をつけます。正しいように見えて、どこかおかしい場合も多々あります。そのため資料や対話を通じ、人の手で色を補正していくのですが、その作業に1ヶ月から2ヶ月かかります。当時の資料から色が判るものもありますが、個人蔵の写真だと判らないものもある。そうした場合は、思い出をお持ちの方に話を聞いていく、ということになります。このように様々な人と語り合いながら、元々の色を追い求めていくプロセスが、実はすごく大事。この過程で、出来事についての記憶が人々の心のなかで蘇り、風景が焼き付けられ、その分、写真の寿命が伸びることになるのです。
写真のカラー化が「記憶の解凍」を促す
渡邉教授 僕は2011年より、被爆者の体験や写真、地図、その他の資料を現在の航空写真や立体地形と重ねあわせ、俯瞰的に閲覧することができる「ヒロシマ・アーカイブ」の制作に取り組んできました。被爆者の方々がいらした場所や、顔写真をクリックすると、その方の体験やインタビュー動画を閲覧できるものであり、散在していた多元的なデータをまとめ、広島原爆の実相を世界や未来に伝えることを企図しています。
そのアーカイブにおいては、写真よりも証言の方を取り上げられることが多く、写真はあまり注目されないという問題視がありました。しかし2016年頃、AI技術によりカラー化してみたところ、時代が蘇ってくるような感覚を得ました。その頃のAIはあまり性能が良くなかったので、ぼやっとした色がついていたのですが、それでも写真のなかに新たな気付きや発見があったのです。
また、カラー化写真集(※3)の共著者で、当時は広島の高校生だった庭田杏珠さんが、戦争体験者の方にカラー化した写真を見せると、その方々の「記憶が蘇る」ということが起こりました。モノクロ写真では遠のいていた記憶が、カラー化により蘇り、生き生きとした空間や、実際に起きていたことなどを鮮明に思い出し、お話をされるようになったのです。僕らはそれを「記憶の解凍」と名付けました。
一方、カラー化した写真をTwitter(現:X)で発信すると多くの反響があり、たとえば「このときの広電(広島電鉄)はこの色じゃない」など、知識を持った方々が情報を提供してくれるようになりました。そうした情報をもとに、更に色を補正する。そしてさらに対話が生まれる、という循環が生じます。つまり、カラー化することで興味を誘い、話題に取り上げる人が増え、さらに新しい知識が集まってくるという流れです。モノクロ写真のカラー化は、人々の関心を引きつけ、対話を生み出す力があるのだということがわかりました。
デジタルツインでみる現在と過去、そして未来
―国立科学博物館では、現在の東京の風景に関東大震災直後の空撮写真を重ね、大型ディスプレイシステムに投影する展示も行われています。神田や上野、京橋、日本橋方面。さらには横浜、伊東方面まで。古いシャッター音と共に、現代の風景に震災直後の空撮写真が重なり、その映像に引き込まれます。
渡邉教授 これは今の東京の街に、過去の写真を重ね、過去の災害と現代の「つながり」を可視化する取り組みです。震災直後の空撮写真は、9月1日の発災後9月2日~3日くらいまでの間には撮影されたもので、まだ煙が上がっているのもわかります。東京はもう、ほとんど焼野原ですよね。皇居には避難民がテントを張っているのであろう様子も見えます。当時の浅草は火災によってほぼ全焼しましたが、浅草寺は残っています。芝公園周辺も火災で焼失しましたが、増上寺は残っているのがわかります。これだけ焼野原となったなかで、お寺が火災を免れたというのも非常に興味深い話しです。皆で必死に火を消したのか、それとも木々で包まれている立地が幸いしたのか…。

今の東京は高層ビルが立ち並んでいますが、道のレベルで見ると、焼野原となった100年前とさほど変わらない。100年というのは、そんなに長い時間ではないようにも思えます。関東大震災のあと東京は復興し、また戦争で焼けてしまった。
東京の街は、大震災と戦争という二つの巨大な破壊を負いながら今に継承されているのです。
―今後、首都直下地震が起きたらと考えると、ぞっとします。首都圏には現代ならではの危険物も多くあります。
渡邉教授 建物自体の耐火性はあがっていますが、100年前にはなかった被害も想定できますね。関東大震災は昼時に発生し、風も強く、悪いタイミングで起きた地震と言えます。しかし今後また、最も起きて欲しくないタイミングで大地震が発生する可能性は十分にあるでしょう。
デジタルツインでは意図的に、現在の東京の映像のあとに100年前の写真が映し出されるようにしていますが、時々ふっと感覚が揺らぎ、100年前のモノクロ写真の方が未来に感じられることがあります。焼野原となったこの風景が、もしかしたら東京の未来の姿なのかもしれないと錯覚してしまうのです。
この焼野原が、東京の未来だとしたら…そんな感覚にも触れてもらう。そこから防災の意識に繋げていただければと、それもこのデジタルツインの狙いなのです。
―こうした科学技術を今後の防災に生かしていくことができたら素晴らしいですね。私たち日本防災環境は、災害弱者、子供や福祉施設の方々などの命をどう守るかということにも取り組んでいます。行政で出しているハザードマップはマクロなものであり、身近な周辺情報まではどうしても網羅できない。そうしたなか、災害弱者がどう避難するか。それがやはり課題になると考えています。
震災発生時の瞬間の記憶を可視化する
渡邉教授 今回の国立科学博物館の企画展では、関東大震災だけではなく、東日本大震災の記録も展開しています。
一つは「ソーシャルメディア 瞬間の記録」。Twitter JAPAN(当時)からデータを提供していただき、東日本大震災発生から24時間以内のツイートをマッピングしたものです。
地震発生時、たとえばガスの元栓を閉めるなど、ちょっとした初動が災害を軽減することにつながります。しかし今の我々は咄嗟の判断といったものを忘れていて、大地震が起きると慌てふためき、我を失ってしまうわけですよね。そしてその間にどんどん災害はひどくなっていく。
このツイートマップからはそうした様子も見て取れます。とにかくみんなが慌てていて、誰も冷静ではいられない、という感じです。このツイートのなかの一人が僕自身でもあるのですが。
東日本大震災のとき、東京は震度5強でした。首都直下ではなく、大きな建物破壊等もありませんでした。今になってみれば「あの日はね…」と振り返ることもできますが、揺れている最中はどうしても思考停止になってしまう。ですから地震が起きたらまず何をすれば良いのか。それを今一度復習しておくことが大事だとつくづく感じます。
被災って、結局は日常の延長なんですよね。私たちがそのとき何を感じ、どう行動したのか。震災にまつわる瞬間の記憶を可視化することで、減災や防災を日常に織り込んでいくことができるのかもしれません。
犠牲者の声なき声を未来への教訓に
渡邉教授 また、東日本大震災の記憶として展示しているものに、岩手日報社さんと共同で制作した震災犠牲者の行動記録があります。岩手日報さんが御遺族にインタビューをして集めた情報であり、岩手県における震災犠牲者の「地震発生時」から「津波襲来時」までの避難行動を可視化したものです。
陸前高田市民体育館に逃げ込んでいく御家族や、鵜住居の防災センターに避難された方々、途中の移動経路は分からないので直線でしか結べていませんが、これらの場所に四方から多くの人が集まり、そして命を落とされています。
この行動記録は現在、防災学習にも使われていますが、犠牲者の皆さんの行動の軌跡は、今後、津波が来た時にどう動くべきかという知恵を与えてくれます。
―実際亡くなってしまった方々の足跡のため、見ていると胸が詰まる思いです。
渡邉教授 ここに避難すれば助かると思ったんですよね。でも結局は亡くなってしまった。実際の記録だけに、この展示を前にすると皆さん言葉を失い、黙り込んでしまいます。ある新聞記者の方はこの行動記録を見て、「そっちに行っちゃ駄目だ! と言いたくなります」とおっしゃいました。その感覚は非常に大事だと思います。このデータは過ぎ去った出来事ではなく、目の前で今まさに逃げようとしている人たちなのだと捉え、実際の避難路について考えてみて欲しいと思います。
情報を生かし、防災へと繋げていく
―津波の場合は波のくる方向が想定できますが、地震の際は周辺状況がつかめず、どちらに逃げるべきかわからなくなることも考えられます。首都直下地震で起こりうる延焼火災についても、避難ルートが分かるようになれば良いですが。
渡邉教授 最近では、衛星画像のデータ活用にも取り組んでいます。トルコ・シリア地震の際は、発災2日後には衛星画像が提供され始めたので、それをすぐに、誰もが見やすいパブリック映像にして発信しました。それはトルコの人々に届き、拡散されていきました。情報公開してからのアクセス記録を見ると、トルコからのアクセスが一番多かったことがわかったのです。被災された人々に情報がちゃんと届き、活用されたというのは、非常に手ごたえのあるものでした。
今の衛星画像は有用な資料であり、救助の手がかりにもなります。広域を捉えた映像においては、この地域の破壊が著しいから優先して支援を、といった把握もできます。現在ではリアルタイムの情報共有も、簡単にできるようになりました。
―それらはオープンデータとして公開されている情報なのでしょうか。

渡邉教授 アメリカの人工衛星企業、「MAXAR Technologies」が公開しているもので、ウクライナ戦争のニュースでもよく使われています。災害時はデータがパブリックになるのですが、パブリックとはいえ、結局専門家でなければ使えない。専用のGISソフトウェアでなければ開くことすらできないデータで、一般の人はなかなか見ることはできません。そのため、ブラウザがあれば誰でも見られる形で公開したのです。
「存在」はするものの、多くの人には届いてないデータ。そのデータをいかに流通させるか。それが僕のコンセプトなのです。
先にご紹介した、戦争や震災写真のカラー化、デジタルツイン映像等についても同様のことが言えます。資料館等には在るけれど注目されていない情報やデータ、それらをカラー化したり、わかりやすくデザインしてネットで発信したり、本にしたり、展覧会を開いたり。
「ストックをフローに変える」という言い方を僕はしますけれど、貴重な資料やデータ、また社会のどこかに私蔵されているデータを皆の身の回りの時空間に流し込む仕事をしている感じですね。
―データは伝わってこそ社会に活かされるということですね
渡邉教授 オープンデータといいつつ、その中身は多くの人には伝わってない。やはり専門家や、ある程度技術を持った人しかわからないものなんですよね。僕は情報をデザインする専門家ですが、共通しているテーマは、「データはあるのに多くの人はその存在すら知らない。それをいかにして日常化するか」、ということです。意識化されづらいデータを情報デザインによってわかりやすく再現し、人の心にしっかり届くようにする。過去の災害の情報も人々の意識に触れることで、防災活動につながっていくのではないでしょうか。記憶と記録を眠らせず、未来につなげていくことが重要なのでしょう。

関東大震災「鶴岡八幡宮神楽殿倒壊」 写真提供:東京大学大学院 渡邉英徳研究室
※1 国立科学博物館「関東大震災100年企画展震災からのあゆみ ―未来へつなげる科学技術― (2023年9月1日~11月26日)監修・ 協力・出展
※3 庭田杏珠×渡邉英徳著「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」光文社新書/2020年
(出展内容)
・被災直後の街の写真をカラー化
・TOKYO 1923–2023 デジタルツインでたどる関東大震災直後の航空写真
・震災犠牲者の行動記録「声なき声の可視化」
・ソーシャルメディア「瞬間の記憶」
・人工衛星・ドローン「空から見る災害」
聞き手:NPO法人日本防災環境 理事長 清水 健男
取材日:2023年