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BOSAIみらいコラム | 10
自然災害(クマ被害)

クマ被害という新たな「災害」から命を守るために

小池 伸介 氏
国立大学法人 東京農工大学 大学院 農学研究院教授  小池 伸介 氏

東京農工大学大学院 連合農学研究科 資源・環境学専攻修了 博士(農学) 
専門分野は生態学

2008年に東京農工大学大学院助教、その後同講師、同准教授を経て、現在は東京農工大学大学院農学研究院教授

<著書>
『ツキノワグマのすべて』(共著・文一総合出版)
『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら』( 辰巳出版 )
『クマは都心に現れるのか』 ( 扶桑社 ) など

 

2025年、秋田県や岩手県を中心にクマの出没と事故が相次ぎ、社会に大きな衝撃を与えました。いまやクマ被害は、私たちの生活を脅かす一種の「災害」となっています。なぜこれほどまでに出没が急増しているのか。「ドングリの凶作」だけでは語れない、クマ出没の背景とは、そしていま必要な対策とは。

ツキノワグマ生態研究の第一人者である東京農工大学大学院の小池伸介教授に、お話をうかがいました。

 

どんぐりの凶作のリズムとクマ生息域の拡大が背景に

2025年はクマによる事故が多発し、現在はクマも一種の「災害」になっているのではないかと感じています。なぜいまクマ被害が多発しているのか、クマ被害から命を守るにはどうすべきか、お話を聞かせていただければと思います。

小池教授(以下敬称略) 昨年、秋田や岩手を中心に多くのクマが出没した直接の要因は、クマの主食であるドングリ類の凶作といわれています。これまでの研究でも、ドングリの実りが悪いとクマの行動する範囲が非常に広くなることはわかっています。

クマにとって秋は、冬眠に向けて食べ蓄えなければならない時期です。冬眠中のクマは、飲まず食わずで約三ヶ月、場合によっては五~六ヶ月間、穴の中で過ごすわけですが、必要なエネルギーを秋に食べ蓄え、脂肪として体内に蓄えることで冬眠を乗り切っていきます。その原資になるのがドングリです。

山にはブナやミズナラ、コナラ、クリなど五種類ほどのドングリの仲間があり、これらは自然のリズムで豊作と凶作を繰り返します。それはドングリが持つ習性であり繁殖戦略ですが、樹種によって豊作と凶作の周期や、同調する範囲が異なります。たとえばブナだと百キロ~二百キロの範囲で一斉に豊作だったり凶作だったりしますし、ミズナラだと、数十キロ単位で実りを同調させていきます。

これら数種類のドングリすべてが凶作になるのは稀ですが、すべて凶作になってしまうタイミングがあります。それが2025年だったと思われます。しかしドングリの凶作は昔からある現象なのに、なぜ2025年にこれほど被害が広がったのか。その点について、もっと長い時間軸で考える必要があります。

 

人と動物の生活圏を隔てていた中山間地域が消えた影響

小池 実はこの数十年の間にクマの生息域そのものが劇的に拡大し、1978年から2018年までの40年間で、ツキノワグマの分布範囲は約二倍に広がりました。私たちが解析したところ、クマの生息が拡大したエリアは、耕作放棄地と重なることがわかりました。

70年~80年代ぐらいまでは、山奥に住む野生動物と、人が住む平地の間には中山間地域があり、そこでは人々が耕作をしたり、林業を営んだりし、この中山間地域が、野生動物と平地の人間とを隔てるバッファーの役割を果たしていました。しかし高度経済成長により、私たちは自然資源に依存しなくなり、奥山からは人が撤退し限界集落となっています。

人の活動の衰退によって動物と人を隔てていた中山間地域が消え、耕作放棄された土地は森に戻り、野生動物の生息場所になっていく。そして集落のすぐ裏にまでクマや野生動物が生息する状況が、この4050年かけて、ジワジワと出来上がってきました。人が撤退し、管理されなくなった土地が、クマを人里へと誘い込む入り口になっているのです。

またここからは推測になりますが、集落周辺に現れる最近のクマは、人への警戒心が著しく低下していると考えられます。生息域を広げるなかで、人との緊張関係が低下してきた個体が集落周辺に多く住むようになり、それでも最初は恐る恐る森から出てきたのだと思います。そしていざ集落に来てみたら、簡単に食料を得ることができた。クマは非常に学習能力の高い動物ですから、こうした成功体験が、行動を大胆にしていったと考えられます。

そして昨年、ドングリが著しく凶作になったため、食べ物のある集落にわっと出てきた。それが、2025年の状況ではないかと考えています。

 

警戒心の下がったクマはいるものの  鈴やラジオはやはり有効

数年前には、キャンプ場でクマに襲われたという事例もありましたが。

小池  クマの事故は、被害が出てからニュースになりますが、必ずその「前段階」があります。上高地での事例も、残飯や食べ物の管理が悪く、もっと前からクマが来ていたという背景があります。「ここに行けば食べ物がある」「この蓋を開けると汚水が飲める」ということを学んでいったクマがテントを襲うまでになったのでしょう。やはり人間の食べ物の味を覚えさせないように徹底する。それに尽きると思います。

クマが人間を食べようとして襲ってくることはないと考えてよいものでしょうか。

小池 本来、クマが人間を食べるために襲うことはありません。しかし可能性がゼロとは言い切れません。クマは植物中心の雑食ですが、肉食動物から進化しており、内臓もその特徴を残しています。ツキノワグマは、俊敏な成獣のシカを捕らえることはできませんが、弱った個体や子鹿などを捕食する能力は十分にあり、ハチやアリなどの昆虫や、死んだ鹿も食べます。嗅覚は犬の何倍もあり、聴覚、動体視力も優れ、強靭な爪と力を備えています。クマが非常に高い攻撃能力を持つ動物であることを忘れてはなりません。これまでの事故の多くは、母グマが子を守るためや、人間と鉢合わせて逃げようとするためなど、「防御」を目的としたものでした。しかし2025年、ごく一部ではありますが、あきらかに人を狙ったような事故も散見されています。

特定の個体の性質が変わったのか、そうした個体が増えているのか、あるいは襲われた方の何かの行動が刺激になったのか、その背景はわかりませんが、非常に落ち着き払ったクマがいるのも事実です。

では、クマと遭遇してしまった時には、どうやって身を守ればよいでしょうか。

小池  クマに遭うこと自体が事故であり、クマに遭った時にできることは、ほぼありません。ですから、いかに遭わないようにするかを考えるべきでしょう。それには昔から言われているように鈴やラジオなどを持ち、こちらの存在を教えることです。

警戒心の下がったクマは確かにいますが、依然として多くのクマは警戒心を持っています。クマが金属音を嫌がるということではなく、クマは聴覚が非常に優れているので、音を鳴らすことによってクマに気付いてもらい、避けてもらうということです。

しかし雨の降っている日や、沢のなかのように音が伝わりにくい状況では、クマも気付かず、鉢合わせてしまうことがあります。釣り人の事故が多いのはそのためです。また、自分が風下にいる時も匂いが伝わらず、クマが気付きづらいことがあります。

 

パニックにならない、背を向けない                                                                           究極の防御は首を隠し、うつ伏せに

小池 それでもクマに遭ってしまった時に、「こうしたら100%大丈夫」という方法はありませんが、してはいけないことはあります。

まず、クマをパニックにさせないこと。大声を出すなどの行為はクマを刺激し、逆にこちらに向かってきてしまう可能性もあります。また、自分自身もパニックにならないこと。背を向けて走って逃げるのもいけません。クマは走るものを追いかける習性がありますし、背を向けることによってクマの様子や距離感がわからなくなってしまいます。

また、ヘルメット、クマ撃退用のスプレーをすぐに使えるように携帯しておくこと。

どの程度の距離から、どの程度押すのかなど、スプレーも咄嗟には使えないと思いますので、動画等をみてイメージトレーニングしておくことも有効です。(「日本クマネットワーク」が公開している動画については下記参照)なお撃退スプレーは、クマの鼻めがけて噴射することで撃退する効果があるものです。虫除けスプレーのように、スプレーしておけばクマを寄せ付けないものと捉えてしまう人もいますが、そうした効果はありませんので、注意が必要です。

さらに、クマを目前にした時の防御姿勢は、首を両手で押さえて地面にうつ伏せになることです。これによって死なない確率を上げることができます。

 

クマスプレーの使い方 ~正しく使って身を守ろう~ 日本クマネットワーク

★こちらのQRコードより動画をご覧いただけます   

 

クマとの接触による死因で一番多いのは失血死です。リュックを背負っていれば背中は守られますので、頭はヘルメットで守り、太い血管がある首を両手で覆う。これが致命的な出血を防ぐための防御策となります。

もちろん、うつ伏せになったからといってクマが何もしてこないわけではありません。かじられたり叩かれたりするかもしれませんが、この姿勢を取ることで、致命傷となる失血のリスクを下げることができます。特にツキノワグマは背が低いため、人間と対面して腕を振り回すと、ちょうど人の頭部や顔面を直撃してしまいます。これが重症化の原因になります。だからこそ、うつ伏せになって頭をヘルメットで守り、顔面は地面に伏せて隠す。失血死と重症化、その両方のリスクを下げるため、この姿勢をとるのが良いと考えています。

 

「冬眠しないクマ」は存在しない  冬の期間も出没が続く理由

十二月、一月になってもクマの目撃がニュースになっていますが。

小池   クマが冬眠するのは寒さのためではなく、食べ物がないからです。集落に柿などが残っている限りは活動を続け、結果として「冬眠が遅れる」状態になります。

冬眠の期間には個体差があり、半年近く眠るものから、一ヶ月程度で活動を再開するものまで様々です。一月に入ってから冬眠する個体もいれば、二月にはもう冬眠を終えてしまう個体もいます。また冬眠の最中でも「寝心地が悪い」「周囲がうるさい」といった理由で頻繁に穴を替える習性があります。その際に目撃されることもあり、冬にクマが目撃される要因の一つになっています。

なおクマは生まれてから約一年半、母グマと一緒に過ごし、食べ物の見分け方や危険な場所など、生きる術を学びます。同じ山で育っても、母グマの違いによって食べるものが異なるほど、この時期に教わったことがその後の20年あまりを左右します。過去に一例だけ、母グマが駆除されたことで冬眠の仕方がわからなかったという子グマの事例がありましたが、基本的にはどのクマも必ず冬眠します。

おそらく一月、二月になっても、クマの目撃が完全にゼロになることはないでしょう。

 

災害対策と同じように平時の管理や普及活動が大切

災害から命を守るために防災教育が必要なように、クマについても教育が必要であると考えています。

小池 おっしゃる通りですね。先ほどお話ししたように、耕作放棄地や管理不足の土地が、クマを人間の生活圏へ誘引しています。そこをしっかり対策できれば、出没は大幅に抑えられるはずです。

秋田県にはクマ対策の専門職員がおり、以前からクマ対策に力を入れています。集落や学校、職場、自治会などをまわり、「柿があるとクマが来るので、いらない木は切りましょう」とか「軒先に味噌や漬物を置くのもダメですよ」など、普及活動を行っています。地道な活動ですが、これは非常に大事なことです。2025年は秋田での出没が目立ちましたが、職員の方々がこの数年間活動されていなければ、被害はもっと酷かったのではないかと思います。

子どもへの教育も大切です。毎年一回でも、子どもたちにクマの生態や誘引要因を教え、子どもたちが親に伝えることで、地域に広がっていきます。クマがどういう動物で、なぜ出没するのかを知れば、適切な対応が可能になります。

クマの出没を「災害」と捉える視点についても、全く同感です。たとえば、百年に一度の大雨や洪水に備えて土地をかさ上げしたり、河川を整備したりしますよね。それと同じです。 ドングリの凶作という「自然のリズム」は変えられませんが、ある程度の予測は可能です。たとえばブナなら、前の年の秋には翌年の実り具合がわかります。予測性の高い現象ですから、自然災害と同じように平時からの備えでクマ被害を最小限におさえることはできると考えています。

今後は神奈川や東京など関東圏にも被害は広がるのでしょうか。

小池 何も対策をしなければ広がるでしょう。今は圏央道が最前線ですが、そこを突破するのは時間の問題です。関東圏でも五年後はもう自分たちの問題になり得るわけです。「今起きていない」のは、「対応する時間的猶予がある」ということ。平時から、住民向けに正しい普及活動を地道に行い、環境を整えていくことが、被害低減のために一番大事なことだと考えています。

ありがとうございました。クマについてもっと知り、過度に恐れるのではなく、いかに共存していくべきかを考え、環境を整えていくことが大切だと改めて感じました。

 

※写真(野生のクマ・3枚)提供:環境省

 

聞き手:NPO法人日本防災環境 理事長 清水 健男

取材日:2025年12月インタビュー実施