稲むらの火

稲むらの火とは

「稲むらの火」は、1854年(安政元)12月、現在の和歌山県有田郡広川町を襲った安政地震津波の時、稲むらに火を放って多くの村人を救った浜口梧陵(儀兵衛)の史実に基づく物語です。

浜口梧陵(儀兵衛)物語は高台に住む年老いた庄屋の五兵衛(梧陵がモデル)は、うなるような地鳴りと長いゆったりとした今までに経験のない揺れを感じ外へ出た。海に目をやると波が沖へ沖へ引いてみるみるうちに黒い岩底が現われてきた。「大津波がやってくるに違いない」と感じた五兵衛の目には豊年祝いの支度に余念がなく一向に地震に気付かない村人達の姿があった。このままでは400名の命が危ない!!と、取り入れるばかりになっていた沢山の稲むらに火をつけ、火事だと思わせて村人を高台に案内し津波から救ったお話です。

原作は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「ALiving God(生き神様)」で1896年6月明治三陸沖地震津波で2万人もの犠牲者出た悲惨さに触発され、浜口梧陵をモデルに製作したと言われています。その後、梧陵の隣町(湯浅町)出身の中井常蔵小学校教師が、「A Living God」の物語に感動して、小学生の防災教育用の短い作品に凝縮し、1937年(昭和12)より1947年(昭和22)まで尋常小学校5年生の「小学国語読本」に採択されました。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) A Living God 中井常蔵小学校教師 小学国語読本

小学国語読本折しも、1995年1月の阪神・淡路大震災、2004年10月の新潟県中越地震、2011年3月の東日本大震災の大惨事に鑑み、再度防災教育の必要性から2011年4月より、64年ぶりに全国の公立小学校5年生の6割の教科書に「稲むらの火」が復活しました。光村図書出版の国語教科書には「百年後のふるさとを守る」と題して掲載されています。

平成11年の皇后陛下のお誕生日の記者会見に、北海道南西沖地震の復興に際し、「子供のころ教科書に、たしか『稲むらの火』と題し津波の際の避難の様子を描いた物語があり、その後長く記憶に残ったことでしたが、津波であれ、洪水であれ、平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや、対処の可能性が、学校教育の中で、具体的に教えられた一つの例として思い出されます」と語られております。

「稲むらの火」はアジア各国にも紹介され、2004年のスマトラ沖地震津波後には、当時の小泉純一郎首相とシンガポールのリー・シェンロン首相との間で、「子供の時から『稲むらの火』を通して津波対策をしているのですか?」と話題になった事もあります。

稲むらの火

NPO法人日本防災環境は、いち早く「子どもやお年寄りを地震災害から守る」と平成16年12月神奈川県で最初に「稲むらの火」を紹介、ビデオ試写会を行ないました。
また、横浜「人形の家」や市内の小学校で数十回人形劇「稲むらの火」の公演会を開催し、子ども達に地震津波の教訓と浜口梧陵(儀兵衛)氏の偉業を伝え、自ら命を守り公の為に互いに助け合う大切さを啓発しております。

稲むら人形劇1 稲むら人形劇2 稲むら人形劇3 稲むら人形劇4

稲むらの火

 浜口梧陵は、1820年(文政3)に紀伊国広村(現・和歌山県有田郡広川村)に醤油商人浜口分家に生まれ、12歳で本家(浜口儀兵衛)の養子となり七代目浜口儀兵衛を名乗りました。  江戸に上って見聞を広め開国論者となり、後に広村に稽古場「耐久社」を設立して後進の育成を図ったのです。その伝統は現在の和歌山県立耐久高等学校に受け継がれています。  「稲むらの火」の後「住民百世の安堵を図る」と、巨額の私財を投じて高さ約5m・長さ約600mの堤防を築き、その海側に松並木を植林しました。  堤防完成から88年後の1946年(昭和21年)に、昭和南海地震津波が広村を襲いましたが、その堤防のお陰で被害を減らすことが出来たのです。  その偉業に感謝して、昭和8年「感恩碑」が建立され、毎年「津波祭」を開催し遺徳を偲ぶとともに災害への備えとしています。

稲村堤防断面図 防風林 防浪石堤 稲むら地図 稲むら地図